copepodaのブログ

観劇、スカステ、DVDなどの感想をつづる。

その他:笑う男②

ファンクラブ枠で購入すると空席にすることができないので、
気は進まねど二度目の観劇に。


この作品は演者の人気と、悲劇的結末に「深い」と言わなければいけないような
強迫観念に寄りかかっている気がする。
障害者=心が清い、みたいな。


必ずしもストーリーの辻褄を重視するわけではないのだが、
傷のせいで笑って見える男が滑稽という設定での見世物なわけだが、
グウィンプレン本人が非常に感情豊かで、日常的に結構笑っている。
そのため、感情とは無関係に笑っている、というようなシーンがない。
また、髪型が哲郎で傷のメイクがささやか過ぎて、オペラなしには見えない。
非常にお綺麗な傷。本気でやるならノブオくらいやってくれないと凄味がない。


見世物小屋も
「グレイテストショーマンを観て研究しました」
「花園神社とかに来る見世物小屋(を観た人のブログ)を観て作りました」
という感じで、自身にまともな人生を歩ませなかった異形を逆手にとった
力強さが感じられない。
(花園神社などに来る見世物小屋のパワーは比べ物にならないくらいすごいです)
感じられないといえば、全面通して「飢え」がない。
本当の意味での飢餓。
冒頭、雪原の中で保護されたグウィンプレンがウルシュスからわずかなパンとスープをもらうシーンでも、がっつくということがない。
背景にはある、アン女王のふくよかさがその対比であり貴族社会の腐敗だ、とでもいうのであれば、もっとわかりやすく死体が転がっていても、団員同士でパンの奪い合いを行っているシーンでもあってよいのでは?


そんでもって一番の謎。
そもそも妹に魅力がない。演者の力量ではなく、存在として。
存在するだけで他人に気を遣わせる、何様こいつ?
当然のように他人に何もかも手伝ってもらう、最優先に考えてもらう。
そのように強要する。
目が見えないだの、心臓が弱いだの、脅迫でしょこれ。
にも拘らず、目が見えなくて苦労するシーンが全くない。
唯一の苦労といえば襲われるくらいだが、それも迂闊に一人で出歩いて
フラフラしてて襲われる。
自分がハンデを背負っているという自覚がないのか、と。
それが、貴族に呼ばれて出かけていた義理の兄が不在にしていたせいだ、とか。
とんでも結論すぎる。


主人公も貴族になって貴族院に行って、ちょっと笑われてダーク面に落ちるかと思いきや、優しいジョシアナに八つ当たりして、盗んだバイクで走りだす始末。
ついでに、当時って国家が医療費を持ったの?
貧民が通うのってせいぜい町医者ではないの?


妹役のねねさまと乃木坂の人は正直、歌唱力の面で他に著しく劣るが、
役自体がかまととで、超絶うまくなくても気にならないので良しとする。
一人ずつ語る必要もないので、印象に残っているというと
主演の浦井氏、パパの山口氏の歌唱力は本当にすごい。
低音でがなるのではなく静かに引っ張るのとか、腹筋どうなってんねんというくらい
びっくりする。
でもこれ、すごいのはこの方たちの歌唱力であって、シーンとして素晴らしいわけではない。しかも声量で押せ押せな時も多々ある。


虐げられた市民の苦しみを描く作家による古典作品を
現代の安っぽい倫理観でなぞった。
トータルではそんな作品に仕上がっているように感じた。


ぶっちゃけこんなストーリー、サ〇デー漫画カレッジに送ったら
「登場人物の行動に軸がない」
「とりあえず殺しとけば感動、みたいなオチは感心しない」
「画力があるのに残念!」
「登場人物にもっと命を吹き込んでほしい。自由に動かしてほしい」
という評価で、画力のみで75点佳作ってところか。


もちろん、ここでいう画力とは演者の力量のことである。


新聞や雑誌、ツイッターでは絶賛の嵐で
否定意見は取り上げられないような作品に出ている演者って
本当はどう思っているんだろう。
表立って「つまらないです」と宣伝するわけにはいかないだろうけど。
歌が難しいとか、セリフが多くてタイミングが難しいとか
そういったハードルを自分で設定して乗り越えることで納得させているのだろうか。
そういう意味では、くだらない案件を、心殺して終わらせる会社員と同じ心理か。


とりあえず。ねーわ!これ。
再演されて誰が出ても観にはいかない。
出演者がきっかけで観ることを検討するけれど、
その人の姿や歌、技術だけを観たいのではなく、全体で作り上げられる世界が観たいのです。


あと、あのセット何だ?
せっかくの広い舞台を意味不な籠で狭めるなら最初から狭い舞台使えっつーの。
それともあれ?
抑圧される市民=籠の中の鳥、みたいな?
全然抑圧されてないよ、そいつら。